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ラ・コリーナ音楽教室代表 本田仁子(ほんだ ひとこ)です。
- 3歳半でピアノを始める
- 松山市立番町小学校で合唱部(NHK全国学校音楽コンクール 全国2位)
- 松山市立城東中学校ブラスバンド部でアルトサックス担当
- 愛媛県立松山南高校ではバスケットボール部
- 聖カタリナ女子短期大学音楽科ピアノ専攻卒業 副科でサックス
- 同大学音楽専攻科修了
- クラシックピアノを佐伯光男氏に師事。
- 2013年よりジャズピアノを石井彰氏に師事。
【指導】
- 1991年~ 自宅にて『本田ピアノ教室』を開催。
- 2019年~”ラ・コリーナ音楽教室”へとリニューアル
【演奏活動】
- 1991年より演奏活動を開始。
- 全日空ホテル・三越アトリウムコートなどパーティー・ブライダルシーンにおいて、ピアノソロはもとよりジャズトリオ、カルテットなどの経験を積み、クラシックにとどまらずポップス・ジャズなどレパートリーを広げる。
- 2001年~2010年 ピアノバー『ジャズギャラリー』にてレギュラー出演。
- 2017年~2021年 『俺のフレンチ松山』にてレギュラー出演。
- 2019年~ 大石玲子(vo)とホームルームデュオを結成。ライブハウスsingoutにて毎月第一水曜日に定例ライブを開催中
【その他】
- 猫好き(3匹の保護猫を飼っています)
私がピアノを始めたのは3歳半の時でした。
きっかけは・・・
当時住んでいた家のお隣に、音楽科の学生さんが下宿していました。
そこから聞こえてくるピアノの音に憧れ、そこに出入りしている子どもたちが、ピアノを習っていると知り羨ましくて、母に毎日のように「ピアノが習いたい〜」と言っていたようです。
最初は母も相手にしていなかったのですが、あまりにも私がしつこく言うので
「そんなに習いたいのなら、自分でお願いに行ってきなさい」
と言われ、本当にその足でお隣のお宅にスタスタ行ったのを今でも覚えています。
慌てて追いかけて来た母も根負けし、そこから私のピアノ人生がスタートしました。
はじめは家にあった小さなオルガンで練習していました。
子ども心に、決して経済的に余裕のある家ではないと気づいていたので、ピアノが欲しいと言ったことはなかったと思います。
ピアノが大好きで練習も大好きで、そんな私を見て母が・・ピアノを買ってあげなかったら将来この子に恨まれる・・・と思ったと、後で聞かされました。
そしてついに憧れのピアノが家にやってきました。もちろん月賦(ローンなんて言葉なかったかも)
私が小学校1年生の終わり頃、もうすぐブルグミューラーが終わるという時でした。
そんなに好きだったピアノも、中学3年の時に受験を理由に辞めてしまいます。
そして高校に入学し、なんとバスケット部に入部しました。
小学校で合唱部、中学校でブラスバンド部だった私は、何か音楽以外のことをしてみたくなったのです。
音楽の道に進むと思っていた母は、当然大反対しました。
当時、ピアノと運動部の両立は考えられない、ましてやバスケットなんて突き指したらどうするの💢
そんな時代でした。
ピアノは辞める!
バスケをやる!
音楽には進まない!
と啖呵を切った私でしたが、
高校2年の最終進路を決定する時、やっぱりピアノがしたい、音楽の道に進みたい・・・
と、離れてみて改めてピアノに対する思いに気づき、高校の音楽の先生に相談しピアノの先生を紹介して貰ってから、母に打ち明けました。
母は黙って全面的に協力してくれました。
高校2年からピアノを再開し、バスケも高校3年の総体まで続けました。
そんなこんな、すったもんだの末臨んだ大学入試ですが、希望の大学には見事失敗。
当たり前ですよね。
高校3年から新しく師事した素晴らしい先生のいる短大の音楽科に進み専攻科合わせて3年間学びました。
それ以来、これまでの私の人生、それはいろいろありましたがピアノはいつも共にいてくれました。
大学入試の失敗が、その後10年くらいは私のコンプレックスになっていましたが、考えてみれば大学を出てからのピアノ人生の方が遥かに長いのですよね。
お教室を始めて、たくさんの生徒さんと出会いました。
私と関わる時間は長い子で10年余りでしょうか。
おそらく私が、それぞれの子たちのピアノ人生の最初に関わることになるのだと思います。
どうかこの出会いが良いものでありますようにと願わずにはいられません。