私がピアノを始めたのは3歳半の時でした。
きっかけは・・・
当時住んでいた家のお隣に、音楽科の学生さんが下宿していました。
そこから聞こえてくるピアノの音に憧れ、そこに出入りしている子どもたちが、ピアノを習っていると知り羨ましくて、母に毎日のように「ピアノが習いたい〜」と言っていたようです。
最初は母も相手にしていなかったのですが、あまりにも私がしつこく言うので
「そんなに習いたいのなら、自分でお願いに行ってきなさい」
と言われ、本当にその足でお隣のお宅にスタスタ行ったのを今でも覚えています。
慌てて追いかけて来た母も根負けし、そこから私のピアノ人生がスタートしました✨
はじめは家にあった小さなオルガンで練習していました。
子ども心に、決して経済的に余裕のある家ではないと気づいていたので、ピアノが欲しいと言ったことはなかったと思います。
ピアノが大好きで練習も大好きで(当時は💦)、そんな私を見て母が・・ピアノを買ってあげなかったら将来この子に恨まれる😱・・・と思ったと、後で聞かされました😅
そしてついに憧れのピアノが家にやってきました✨もちろん月賦で(月賦って💦時代が分かる😅)
私が小学校1年生の終わり頃、もうすぐブルグミューラーが終わるという時でした。
そんなに好きだったピアノも、中学3年の時に受験を理由に辞めてしまいます。
そして高校に入学し、なんとバスケット部に入部しました🏀
小学校で合唱部、中学校でブラスバンド部だった私は、何か音楽以外のことをしてみたくなったのです。
音楽の道に進むと思っていた母は、当然大反対しました。
当時、ピアノと運動部の両立は考えられない、ましてやバスケットなんて突き指したらどうするの💢
そんな時代でした。
ピアノは辞める!
バスケ🏀をやる!
音楽には進まない!
と啖呵を切った私でしたが、
高校2年の最終進路を決定する時、やっぱりピアノがしたい、音楽の道に進みたい・・・
と、離れてみて改めてピアノに対する思いに気づき、高校の音楽の先生に相談しピアノの先生を紹介して貰ってから、母に打ち明けました。
母は黙って全面的に協力してくれました。
高校2年からピアノを再開し、バスケも高校3年の総体まで続けました。
そんなこんな、すったもんだの末、臨んだ大学入試ですが、希望の大学には見事失敗🙅♀️
当たり前ですよね😅
高校3年から新しく師事した素晴らしい先生のいる短大の音楽科に進み専攻科合わせて3年間学びました。
それ以来、これまでの私の人生、それはいろいろありましたが😅ピアノはいつも共にいてくれました✨✨
大学入試の失敗が、その後10年くらいは私のコンプレックスになっていましたが、考えてみれば、大学を出てからのピアノ人生の方が遥かに長いのですよね😃🎶
お教室を始めて、たくさんの生徒さんと出会いました。
私と関わる時間は長い子で10年余りでしょうか。
おそらく私が、それぞれの子たちのピアノ人生の最初に関わることになるのだと思います。
どうかこの出会いが、それぞれの子たちにとって良いものになりますように・・・と願わずにはいられません🙏🙏
明日は「母の日」💐
昨年母を亡くした私にとって、人生初めての、「母のいない母の日」です。
母は持病のため、ここ10年ほど車椅子生活で、兄・義姉・私の3人でローテーションを組んで、母のお世話をしていました。
車椅子とはいえ、頭の方は冴え冴えで😅
外出・外食・デパート・買い物・・・大好きで、自ら車椅子が乗れる福祉車両を買って、いろんな所へ一緒に出かけました。
一緒に過ごす時間が増えれば、ぶつかる事もそれなりに有り、本気でその時は腹も立てたのに、今となっては全てが良い思い出です。
不思議なものですね〜💦
⬆︎の写真はジュエリー好きの母から、生前譲り受けたものです💍
元々は、七つのパールをあしらった指環だったのですが、私にはゴージャス過ぎたので、知り合いの彫金作家の方に、指環とイヤリングにしていただきました。
私自身、母親べったりの娘ではなかったし、いろいろ大変なことがあっても、助けを請うこともなかったつもりですが、本当に大きな存在だったと今実感しています。
感謝です✨✨✨